私がスマホアプリを作るようになった原因は衝動だった
衝動。
そう、私がスマホアプリを作るようになった原因は衝動だった。
2010年の10月。
2008年の秋に起こった米国の非プライムローンの信用破綻(いわゆるリーマンショック)の傷が癒えず、5ヶ月後に起こる戦争(原子炉爆発)は頭の片隅にもなかった。
ただ、iPadという新しいコンピュータをスティーブがポートレートに手に持って操作しているのを見た時から、これは玉手箱にそっくりだとインスピレーションを感じた。
iPhoneと違っていたのは5本の指全てを使って操作できることだった。
iPadで動くアプリを作りたくてたまらなくなった。
私はその四角い板とアプリを開発するためのコンピュータをAppleのサイトで注文した。
それまでの私は、ウェブアプリを作っていた。
PerlやPHPやJSで開発するということは靴の上から足を掻くようなものだった。
直接コンピュータの資源を操作している感覚とは程遠いものだった。
iPadはセンサーの塊で、人間の五感にあたるものから味覚と嗅覚を除いた感覚を持っていた。
ほぼ同時に3つのアイデアが頭に浮かんだ。
・小豆による波の音発生装置
・手書きメモができるシステム手帳
・会話ができる目覚まし時計
ひとつづつ作っていった。
当時のiPadは主メモリが256MBだけだったので、アプリが使えるメモリ容量は100MBしかなかったのだ。
良いアプリを作るにはメモリ容量との戦いの日々だった。
売れたとしても、iPadとコンピュータ代はペイできないだろうなと楽観はしていなかった。
システム手帳アプリの開発が完成に近づいたころ、事務所に近い空の上で何かが爆発した。
そのかけらが飛び散りたくさんのICチップが私の部屋の網戸につき刺さった。
それは夢とも幻ともつかないものだった。
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システム手帳アプリは半年間ビジネスカテゴリの1位を獲得し続けた。
AppStoreでの売り上げはiPadとコンピュータのセットが数十台買えるほどの売り上げとなった。
5年たった今でも売れ続けている。
そうか、人生というのは計算づくで設計するものだと思っていたが、衝動に任せて泳いでいくものだったのだ。