天皇というものは不思議なものだ
小学生の頃、国語のテストの問題に次のようなものがあった。
いっしょけんめい を漢字で書きなさい。
私は、
一生懸命
と書いた。
先生は、赤いインクでばつ印をつけて、
一所懸命
と書き直してくれた。
一所懸命とは、即今(いま)を精一杯生きるという意味である。
私が書いた「一生懸命」は誤字をみんなが使っているうちに正しくなっただけの意味の通らないものだったのだ。
同じ頃、もう一つ問題があった。
日本国 の読みを書きなさい。
私は自信を持って
にほんこく
と書いた。
先生は、赤ペンでばつ印をつけて、
にっぽんこく
と書いてくれた。
今から50年前の教育指導要領では、おそらく、日本は「にっぽん」と教えるようにとあったのだと思う。
沖縄や小笠原が米国から日本に返還されてから、まだ間もない時期だった。
現在、日本というこの国の読み方は法的に決定していない。
使用される文脈や組織名において、「にっぽん」だったり、「にほん」だったりするのだ。
世界広しと言えども、国名の読み方が決まっていない国というのも日本ぐらいのものだろう。
50年前の同じ頃、天皇が全国を行脚していたころで、房州を行脚された帰りの道中で、特急列車に乗って、私の住む駅を通るから、日の丸を振ってお見送りしようというイベントに参加した。
天皇の顔を見ることはできなかったものの、天皇の目に小学生の私が映ったかもしれないと思うだけで、心が高ぶる。
幼稚園でも小学校でも、天皇はすごいとか、天皇は大切だとか、教えられた記憶はない。
家族からも天皇について、聞かされたこともない。
おそらくだが、天皇誕生日という休日が4月にあったことで、天皇というものを意識したのが初めてだったと思える。
その後、定期的に放送されていたテレビの皇室番組を見たり、年に2回の一般参賀で日の丸を振られる様子を見たりした。
大きくなるにつれ、いわゆる右翼と呼ばれる怖い人たちが、軍隊とか日の丸とか天皇のイメージを大きく変えた。
何か、そら恐ろしく、アンタッチャブルなものとして認識するようになってしまった。
昭和という時代には、そうした触れてはならない事柄(話題に出したり、議論したりしてはならないもの)がいくつかあった。
天皇、右翼、左翼、ヤクザ、部落、朝鮮、在日、障害者、らい病、少年院、刑務所、死刑、軍隊、太平洋戦争、宗教
といった事柄である。
過激な右翼活動や左翼活動は東京からいなくなり、ヤクザも表面的には少なくなった。
部落によって就職や結婚などにおいて差別されることもない。
「朝鮮」という言葉さえ用いることができなかったが、今では普通に朝鮮と言える時代になり、在日の人々は肩身を狭くすることなく日本社会に受け入れられている。
らい病は小泉政権が国として謝罪し解決したし、障害者はこの社会で保護されている。
有名人がたびたび刑務所に収監され、その状況を伝えるようになり、触れてはならないことではない。
死刑は、今でも左翼系の法務大臣がサインを拒んだりしている。
太平洋戦争は、「悪い日本が正義の味方の米国や英国と戦った戦争」という認識が見直された。
自衛隊と呼ばれる武器を持った組織は、どっちつかずの集団ではなく、もうすぐ軍隊となるだろう。
宗教は、今でも政教分離の日本国憲法がないがしろにされている。
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天皇というものは不思議なものだ。
奈良時代から平成時代まで1300年ほど続いていて(大王と呼ばれていた時代から数えると1500年)、政治を取り仕切ることは一切なく、ただ祈る存在だ。
日本の天皇のような国家元首を大統領や首相とは別においている国はたくさんある。
しかし、象徴(アイコン)であり、権威(オーソリティ)であり、呪術師(シャーマン)であるという存在は、世界でも天皇だけである。
そして、日本人は誰に教えられるでもなく、天皇を大事に思うのだ。