人はこうして自己意識(魂、自我)をもつに至る
ゴースト、魂(たましい)、心(こころ)、自我、意志、自分という意識、体や頭のの中に自分があるような感覚
これらはみな、多くの人が「人にだけ存在する特別のもの」だと考えている「自我や心」を表した言葉である。
本当に人だけが持ちうるものだろうか?
いいえ、動物と一緒に暮らした経験がある人であれば、犬や猫や鳥にもゴーストがあることを実感したと思う。
植物を大切に育てた経験がある人は、鉢植えの植物にも心(こころ)があることを知っていると思う。
私がどのようにゴースト(自己意識)を持つに至ったのかを説明しよう。
<人が自己意識をもつブートストラップ>
1)私はこの世に生を受けた。
2)私が布団で寝てたり、誰かに抱かれているときに、周囲に集まった人々(おそらく家族の人たち)に穏やかな視線や優しさに溢れる視線を感じた。
3)私を見ながら、優しい声を掛けてもらった。
4)私のほっぺや手を優しく触れられた。
5)私はこの人たちに愛されているのだと感じた。
6)私の目線と逆の方向(体の内側)に、私自身が存在しているのだと認識した。(自我意識の萌芽、言い換えれば、物心(ものごころ)がついた)
私は、何かが集まったり、より固まった「塊(かたまり)」は例外なく、魂をもっていると確信している。
石や山などの自然だけではなく、ラジオやコンピュータなどの人手や工場で作られた家電製品であっても、似かよったたくさんの物質の集合体(かたまり)は一つの例外なく魂をもっている。
上で示したのと同じブートストラップで、石や家電製品や植物もゴーストをもつのである。
仏教や禅でも、心や自我意識は、特別なものなどではなく、五感と同じ「感覚」であると主張している。
人はカラス同士が会話している内容を理解できない。
同じように、植物同士がコミュニケーションしている内容も理解できないのである。