人は生きる(生き続ける)ために生きている
この社会は自分の得意なことをして社会に貢献し、その代わりに自分の不得意なことを他人に代行してもらう社会である。
「牛タンが大好物だ」とか、「ホルモンは美容に良いから好き」
などと言えるのは、牛を自分で殺さず、ブッチャー(屠殺人)に代行してもらって、皿の上にキレイに盛られた切り刻んだ肉しか見ていないからだろう。
嫌なことをすべて他人に任せてキレイに暮らすことは、素晴らしいことなのだろうか?
他人に牛や豚そして鳥を殺させて、その肉を食らう。
そんな生活が長く続くとは思わない。
野菜や果物も私たちは殺して食べている。
野菜や果物などの植物は雑草といわれる植物も含め、普段においてもそこかしこで見ることができる。
しかし、牛や豚やにわとりを見ることは全くない。スーパーの棚に並んだ死んだ牛や豚やにわとりの肉を見れるだけだ。
特定の場所で誰の目にも触れることなく生育し、誰の目にも触れることなく殺している。
屠殺場が日本のどこにあるのか知っている人はごくごく少数だろう。(屠殺場はほんの少し前まで品川にあった。)
毎日清潔に暮らし、死んだ牛や豚、鳥の肉をスーパーで手に入れ、「命を大切にしよう」とか「ダイバシティ(多様性)を受け入れられる社会にしよう」という念仏を唱える。
あなたが毎日、口に入れている死んだ子牛の命はどうでもいいのか?
男同士、女同士が結婚することを許容した結果、その社会はどうなるか考えたことがあるのか?
その社会はいづれ絶える。
ある地域の種族は、変わったダンスをする人(変わり者)をみんなで大切に育てる。
同じような人ばかりだと、ウイルスなどから攻撃されたとき全滅してしまうからだ。
多様性とは、人種や男女の違い能力の違いにおける多様性が重要なのであり、同性愛を優遇することは人間が絶滅に向かう転機となる判断であり多様性ではない。
人種や男女の違い能力の違いにおける多様性が重要な理由は、ただひとつ、人類が生き続ける(存続する)ためだ。
「人はなぜ生きるのか」という大命題がある。
私は、「人は生きる(遺伝子を引き継ぎ生き続ける)ために生きている」と考えている。
では、なぜ生き続けるのか?
生き続ける結果何が起きるかといえば、その生き物はどんどん進化を繰り返し能力が飛躍的に向上する。
この地球を含む宇宙は永遠にあるわけではない。
近い将来(人の寿命をものさしにすれば遠い将来)、崩壊を始める。
その時までに、人が生きていくことができるプラットフォームを作るか見つけるかしなければならないのである。
そのために、人は生きているのである。
2023年12月 | ||||||
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